ラビは、隣に座って本を読んでいる。
膝の上に広げていた資料から目を上げた。 気付かれないように、頬にそっと右手を伸ばす。
彼の右目は、黒い眼帯で覆われている。 死角になっているはずだった。
音を立てないように気をつけたはずなのに、眼帯に届く直前で、ぱしりと手首を掴まれる。
びっくりして身じろぎしてしまい、分厚いファイルがばさばさと床にすべり落ちた。
「なーにアレン」
「…いえ、えーっと」
本から目をはなさず、何でもないことのように尋ねられ、うっと言葉に詰まった。
鼻筋の向こうで、字列を追って上下している睫毛をしばらく見つめる。
「その、眼帯の下、どうなってるのかなあ…と」
「眼帯じゃねェよ、アイパッチってゆーの」
「はあ、何か違うんですか」
「ばっか、気分だよ気分ー」
「ふーん…気分…… …っていや、そうじゃなくて、ラビ」
教えてくださいよ、と、掴まれたままの右手首を軽く揺する。
指が緩んで腕が解放される。行儀よく、さっきまでファイルが陣取っていた膝に置いた。
返事を待って、横顔を眺めながらじっと待っていると、ようやくラビが文字から目をはなした。
「コレの下ねぇ。どうしよっかなぁ」
「重大な秘密でもあるの?」
「いやぁ、そんな大層なハナシでもないんだけどな」
「じゃあいいじゃないですか」
「んー」
悩むようなそぶりを見せながら、ラビが頭の後ろに手を組み、ソファの上に反り返る。
足を突っ張ってぱたぱたさせている彼のわきに手をつき、体をひねるようにして、ずいっと身を乗り出し上から覗き込んだ。
ラビが持っていた本は、膝で蹴り落としてしまった。
「おおっと、ナイスアングル」
「茶化さないでちゃんと答えてくださいってば」
曖昧にされるのが嫌で、喋ってくれるまで放さないとばかりに、軽くねめつける。
なにを言われても脱線させまい、と身構えていたら、いつも通りのへらへらと読めない笑みを浮かべていたラビが、ふっと真顔になった。
「……ラビ? ぅわっ」
首の後ろに腕が回り引き寄せられる。
うわ、キスされる、 思うと同時に思い切り両手を突っ張って、勢いよく体を離した。
一瞬前よりいくらか遠くで、ちぇー、残念、という声が聞こえた、
体勢を持ち直し顔を上げると、ラビはソファから立ち上がり、本とファイルを拾って抱え直しているところだった。
「…っ何するんですか!」
「なにってキスじゃんかー、未遂だけど」
「分かってます!そういうことじゃなくて…っ」
「ほらアレン、落としもん」
こつん、とファイルの腹で額を小突かれ、反射的に目をつぶる。
それをそのままこちらに放り、ラビはさっさと歩いていってしまった。
「待ってよ、ラビってば」
不満をあらわにしたような声で呼び止めると、ラビはちょっと振り返り、
「コレの秘密はさ、また今度おれの機嫌がいい時にでも教えてやるよ」
といってへらりと笑った。
一瞬、きょとんと彼を凝視した。 そして思い当たったひとつの答え。
「あ…っ、じゃあラビ、今日は機嫌が悪かったんだ?」
「は?」
「そっか。なんだ、無理に問い詰めたりしてごめんなさい」
気分屋のラビのことだ。それなら仕方ない。
あわてて謝罪のことばを口にのぼらせる。
残念だけど、聞き出すのはまた今度にしよう。そう思って、そう言おうと、顔を上げた。
「うはは、かわいいな〜アレンっ」
「え、ラビ? ……ゎ」
大股に駆け寄ってきたラビに、ぎゅうっと抱き締められる。
「おまえ、いい子だよなぁ、真に受けちゃうんだもんな」
「ちょ、ラビ、苦しいよっ」
「うん」
「うんじゃなくて…」
「ごめんな。そのうち話すから、ちょっと待っててな」
空気を伝わって耳に、体越しに聞こえる声に、少し安心する。
いい子。 ふしぎとその言葉は、いやじゃなかった。
そんかわり、おいしいココア、作ってやるからさ。
笑って頷いて、その場は諦めてあげることにした。